『愛執』
愛執 side渓~2年前~
「毒を喰らわば皿まで」
俺は微量の毒を長期に渡って盛られ、とうとう中毒症状が出た患者のようだ。
でも、それを幸せと思う俺は……狂っている。
*
夜、自宅の前に設置してある自販機のジュースを二つ、
部屋に駆け上がりテラスに出る。
そして手を伸ばせば届く距離にある隣家の窓を、聊か乱暴に開けて侵入した。
いつもと同じ行為、当たり前の権利。
屋内の温かい空気が外気によって掻き混ぜられ、温度が急低下していく。
侵入する冷気に部屋の住人が眉を顰めた気配を察知し、俺は微かに口角を上げた。
「渓、寒い……」
早く閉めろと、姫野弓由は一切俺の顔を見ずに言い放つ。
一つ年上の幼馴染みは寝ようとしていたのか、
体半分は布団に入ったままで本を読んでいた。
「はいはい」
俺は素直に従うと、近寄って後から抱き締める。
さらりと柔らかな髪を撫でると、嗅ぎなれた香りに意識が刺激された。
弓由は何も言わず、だけど代わりに、
横から覗き見る俺を見つめ返してくる。まっすぐと。
ああ、こいつが好きだ。
子供の頃から幾度も感じた想いを再確認する。
――俺と弓由の出会いは、十年前。
とても寒かったのを、覚えている。
両親は、ガキの俺に金だけ渡すと、
それぞれの愛人宅で暮らす最低な奴らで、俺は孤独だった。
寂しくて悲しくて、家の外で帰らない両親を待って、泣いて過ごす日々ばかり。
だけど弓由は、そんな俺の手を掴むと極上の笑みで、
「俺が傍にいてやるよ。だから、泣くな。もう寂しくないだろ」
俺を孤独から救い出したんだ。
……どうせ、本人は覚えちゃいないだろうけど。
「……何?」
先に沈黙に耐え切れなかったのは、俺だった。
「何って……何で抱きつくわけ? 邪魔なんだけど」
「温めてあげよーかなって」
「頼んでない」
「……ふーん」
不機嫌な顔を両手で挟むと、額にキスをする。
こうやって触れ合うことで、相手の体温や存在を確認していく。
ちゅくっと、肌を吸い上げる小さな音が俺の体に熱を孕み、沸騰しそうだ。
「――っ、バカ。やめろ」
胸を強く押され、身を剥がされてしまう。
残念、次は目頭、鼻、唇、顎、首筋と順々に這う予定だったのに。
恨みがましい目でされた行為を訴えるが、
弓由は俺以上の敵愾心で睨んでくる。
「……すごい嫌がりよう」
「当たり前だ。お前、そーいうことは冗談でも止めろって言ってるだろ」
「何で?」
「何ででも、だ。約束守らないと、出禁にするぞ」
「……ちっ」
乱れた襟元を直しながら悪態をつくと、弓由は俺の頭を小突く。
脳が揺れる感覚に俺が眉を顰めても、無視。
行儀悪く布団の中で食べていたのだろう、横に置いてあった袋を俺に渡し、
弓由は小さく息を吐いた。
「ほら、クッキーやるから食べたら帰れ」
もうガキじゃないと、出る言葉を飲み込む。
この人にとって、俺は昔の泣き虫な幼馴染みのままなんだろう。
でもさ、年齢以外は身長も体格も、力だって俺はあんたを越していて、
俺はあんたを簡単に組み敷ける。
「これ手作りだよね? 誰から貰ったの?」
明らかに市販とは違う包み紙の端をびりりと破りながら、
俺は狂気にも似た欲情を抑えつつ質問した。
どこの女子だ、と首を捻る。
弓由に近付く奴は、老若男女誰でも排除してきたつもりの俺にとって、
このクッキーは不愉快であり、強い宣戦布告にも感じた。
「あ……ああ、受かった高校に必要書類の手続きに行った時、貰った」
この人の言葉は、どこかいつも足りない。
俺が聞きたいのは、“どこの誰が”という部分だ。
まぁ、こんな言い方をする位だから、
特に親しい奴から貰ったのではないのだろうが。
「……真誠学園だっけ、受かったの」
「ああ」
「俺には公立受けるって言ってたのにね」
「途中で気が変わったんだよ。受かった時にも言っただろ」
「ふーん、他に、俺に何か隠してない?」
「ないよ?」
取り繕うような笑み。弓由の表情が引き攣るのが手に取るように分かった。
「…………」
沈黙は時に雄弁だ。確実にこの人は何か隠している。
でも問い質したい気持ちを、押し込める。
一先ず、俺にはやらなければいけないことが出来たからだ。
「取り敢えず、クッキーと一緒にジュース飲も。買ってきたんだ」
俺は、にっこりと微笑んだ。
弓由は俺の態度に安堵したのか、ジュースを手に取ると口を付け――――、
――暗転。
――――、
――――。
はぁ……、はぁ……。
獣のように荒々しく熱い吐息と、自身の重みで軋むベッドの音が響き渡る。
俺は、俺が盛った薬ですやすやと眠る弓由に馬乗りになり、
猛る自身をその小さな口にねじ込んでいた。
ぬるり、とした感触のものが口内であたり、それが舌なんだとわかった。
「くっ……はぁっ……」
唇が生ぬるい。その中で触る舌も、生ぬるい。
先端を入れては、湿る快感に心が震える。
入れては抜く行為を、幾度となく、まるで獣が飢えを満たすかのように続けた。
「はぁ…、っ、……」
どこかの生物学者が論文で発表した内容によれば、
人間のセックスは他の雄の精子を掻き出す行為らしい。
より自分だけの存在を刻むように貪欲に動く様が、
結果ピストン運動として残っているのだ。
生殖器が笠のようになっている理由も、
精子を掻き出しやすくするためだというから面白い。
俺が今やってる正当な理由だ。
弓由が俺以外の奴から貰ったものを口にした……、
そんなの許されるわけないだろう。
俺がそれを掻き出して、俺で満たしてやるよ。
何度も口内を掻き回す。
唾液が絡まり、ぬるりぬるりと滑りが良くなると、擦る頻度も早くなる。
「……やばい。すごい、いい……」
ひどく楽しげに、でもどこか自虐的に笑う。
いつからだろう。
好きだって気付いてから、この人が欲しくて欲しくて堪らなくて、
他の誰かのものになることも、空気を吸うことすら許せなくなった。
この人を好きになるごとに、徐々に歪んで、狂っていく。
愛執。 ――なぁ、俺に毒を盛ったのはあんただよ。
愛執 side雅人~1年前~
「毒を喰らわば皿まで」
僕は、毒だ。見た目はキレイだけど、中身はどろどろして醜い。
そんな僕を、誰が食べたいと思う…?
*
カチャリ、と。
慣れた手つきでスマートフォンを取り出せば、
人工的な薄い光が僕を鈍く照らした。
画面に映るのは、僕が管理人を務める真誠学園男子寮に入室している、
高等部一年の生徒……、僕の想い人だ。
彼は、美人で柔らかな容姿とは裏腹に、
規律を重んじ融通の利かない性格で、とても不器用だった。
でも、不器用な分、嘘がない。
僕は人の目を気にして嘘ばかりで、
だから彼が羨ましく、眩しく感じた。
――彼と初めて出会ったのは、去年の今頃だった。
冬休みも間近に迫った、小春日和。
寮の外では色付いた紅葉がゆらゆらひらひらと揺れ落ち、
空に紅色を添えていて、とても美しい。
掃除をしていた僕はふと、学ランに身を包んだ、
少し幼さが残る顔立ちの少年と目が合う。
最初は、顔が好きだと思った。
「あの、必要書類を提出する窓口って、どこですか?
校舎が広いから迷っちゃって…」
次に、声が好きだと思った。
「ああ、それなら此処を真っ直ぐ行って右に曲がった所にありますよ」
「真っ直ぐに右……、分かりました。ありがとうございます」
「あ、ちょっと待ってください」
お礼を言うと、足早に去ろうとする彼を呼び止める。
寮内に急いで戻ると、
不思議そうな顔で待つ彼に、昨晩作ったクッキーを渡した。
「あの、これは……?」
「ふふ、お近づきの印です。僕はこの学園寮の管理人で、名張雅人と言います。
来年からよろしくお願いしますね」
「あ、はい。俺は姫野弓由です、よろしくお願いします」
名前が分かると、そこに存在が生まれる。
この日、僕の中に姫野弓由という存在が深く刻まれた。
11も年下の、まだ子供だと言える彼を、
どうしようもなく愛おしく感じ、想いが溢れていく。
「……ふふ、写メの中でも、あの時のように笑っているね。可愛い……」
携帯を開いたまま椅子に座ると、
猛る己自身に触れ、ゆっくりと扱いていく。
「ふっ、はぁ…んん…、姫、くん…」
熱を帯びるこの甘い痺れが僕を蝕み、
きみを犯し穢す快感に酔いしれる。
純粋に性欲だけを満たすこの行為は、
僕にとって毒を吐き出す行為そのものだ。
肉を擦る淫猥な音が響き、自分の吐く息だけが耳に付いた。
自分の欲望を撫でる利き手と逆の手でそっと、
なぞるように画面の彼の頬に触れてみる。
慈しんで、愛しんで。大切に。
その感触を嗜めるように、
髪、瞼、唇をゆっくりと己に刻み撫でていく。
「くっ、はぁ……もう写メだけじゃ、足りない。
今、きみは何をしているんだろうか……、その全てを見たいよ、姫くん…」
彼が今、一人部屋で何をしているのかと、想像してみる。
笑ってる? 寝ている?
……マスターベーションの最中だったら?
清潔そうな白いシーツの上に横たわる彼は、
いやらしく滑る彼自身をまさぐって、
感じる箇所を指で蠢かして弄っているのだ。
甘美的想像に、自身が更に固くなったのを感じる。
「……はっ……はぁっ……っ……んっ」
いつのまにか、僕は今まで以上に荒い息を吐いていた。
彼を穢す妄想に、高揚しているのだろう。
えも言えない快感に身を振るわす。
奥がじんじんと痺れて、熱い下半身を擦る手が早くなり――、
ぐちゅぐちゅと、粘ついた音と共に、僕は果てた。
ああ、なぜ彼なのだろうか。
その理由は自分でもよくわからない。
ただ、本能が彼を欲して叫んでいるのだ。
「……ふふ、いいこと思いついたよ。彼の全てを知る方法を」
写メだけじゃ足りない。
ずっとずっときみを覗いて、全てを晒し暴きたい。
きみの全てが僕だけのものだと感じたい。
だから僕は、狡猾に罠を張る。
まるで蜘蛛が網を張り巡らすかのように。
僕から離れないように、逃げられないように雁字搦めにしたら、
彼との距離を狭めて、ずっとずっと見ていよう。
そして、僕だけが綺麗なきみを、穢し続けよう。
きっと、それをきみも望んでいるはずだから。
僕の中の白く濁った毒が、どろりと流れ出す。
愛執。
――ねぇ、きみは僕の毒を綺麗に舐めとってくれる?
愛執 side弓由~今年~
「毒を喰らわば皿まで」
俺は毒に近づかないし、触れない。
それがどんなに、魅惑的な甘さだったとしても。
*
――四月、桜が舞う頃。その姿を見つけて、愕然とした。
細胞全てから出される警告音。
身体の中がざわつき、胸がばたばたし始める。
見慣れた、すらりと伸びた背と、適度に付いた筋肉。
自分とは全て正反対の、大人びた容姿。
偉そうに腕を組んで立つ姿に、“唯我独尊”そんな文字が浮かんだ。
「渓……」
奴の視線の先には当然のごとく俺が居て、互いの視線がぶつかって交わる。
俺が驚きと怯えを含んだ表情で固まっていると、
渓は口角をあげた。意地の悪い笑み。
そして恥ずかしげもなく「愛している」と言ってのけるから、性質が悪い。
くらりと、眩暈がした。
「姫くんが怯えてます。
そんな自己主張だけじゃ、どこかの誰かに姫くんを取られちゃうよ」
ふいに、名張さんが俺を守るように渓の前に立つと、そう言って微笑んだ。
「はぁ? ……あんた誰だよ」
「ふふ、きみにとっては、鳶かな」
「くく、そんなクソ鳥、俺が撃ち殺してやるよ」
何も言えずに立ち尽くす俺を余所に、
二人は何やら剣呑な雰囲気になっていく。
「弓由……」
「姫くん……」
注がれる真剣な眼差しが、痛い。
何か言葉を欲しているのが、びしびしと伝わってくる。
ああ、こういうのは苦手だ。
平和に静かに過ごしたいだけなのに、いつもそれが叶わない。
一体、この人たちは、俺に何を言って欲しいんだろう?
分かっていることは、これからの日常が、
中学の頃より波乱に満ちた生活になるということ。
そんな俺の考える事はただ一つ。
どうやって平和に静かに過ごすか、これだけだ。
俺は深く深く、息を吐いた。
愛執。
――ああ、漂う毒の香りに酔いそうだ。